現金スーパー閉店に思う2019年

いろいろなことがあった2019年。

激変のキャッシュレスについて振り返る前に、身近な事件を振り返ってみたい。

近所のスーパーが閉店したというのは、私としては極めて象徴的な事件だった。

もはや近所に、現金にしか対応しないスーパーは残っていない。

ディスカウントスーパーの「ビッグ・エー」までPaypayを導入してるぐらいだ。

私は極力、現金を使わず生きている。

現金派の人、いても別にいいが、現金派であることのメリットを論理的に語る人は見たことがない。

5%還元などのある世の中では、さらに。

尽きるところ現金派の人は、「お金」の存在を、抽象的に捉える能力が低いだけだと思う。

世の中ずいぶん以前から、現金決済などビジネスのごく一部を占めるに過ぎない。

ごく末端にいる利用者が、現金が本筋などと語るのは無意味。

江戸時代だって日々の買い物は掛けが主だった。人間は本質的にキャッシュレス生活を送りたいのだ。

現代はテクノロジーにより、顔パスでない掛け払いが便利になっているのである。

進化した我々こそ、ホモ・キャッシュレス。

さて夏に閉店したうちの近所の現金スーパー、日々の夕食を作っている私は、こちらにずいぶん世話になった。

閉店と聞き当初はショックだったものの、いざなくなってしまったあと、さして残念でもない。

振り返ると、私の日常における数少ない現金払いが、ちょっとしたストレスにすらなっていたようなのだ。

今までより遠くまで出かけ日々の買い物をしているわけだが、それほどストレスはない。日々どこに行こうか楽しみだ。

現金スーパーの思い出といえば、こんなの。

  • 年寄りが狭い入口をよたよた塞ぐので、中に入れない
  • レジではお財布をのんびり広げてゆっくり会計をしている

イライラするが、誰だって老化に伴い、動作がスローモーになり、周りに気が配れなくなるのは仕方ない。怒りはしない。

ただ、年寄りが現金でもたもた支払いをするこの状態を、鳥越俊太郎みたいなインチキ文化人が、「店員とコミュニケーションが図れている」と絶賛しているとしたら、それは違うんじゃないか。

年寄りにだって、電子マネーが必要だと思う。コミュニケーションを図るのなら電子マネーやQRコードの使い方に関してやり取りすればいい。

最初はとっつきにくくたって、便利で得ならみんな使う。

年寄りだって、スマートフォンを持つようになった。最初はなんの必要があるのかと冷ややかに見ていた人も。

電子マネーも同じこと。

ただし知識格差により、生活格差が生じているのは確かに問題だ。

社会から孤立した老人になると、知識を得る余地ももはやない。だが、そんな人だって年金はちゃんと申請して、もらっているのだ。

キャッシュレスだってなんとかなるんじゃないか。

忙しい人が、ポイントで得する暇がないのとは違う。朝から図書館に通う年寄りなら時間はたっぷりある。

年金生活でも持てるクレジットカードはある。その申込みだってできるし、電子マネーも。

とはいえ、いきなりQRコード決済までは難しいだろう。

高望みはいけないので、まずSuicaから始めたらどうだろう。

クレジットカードからのチャージにして。

JR東日本系のビューカードを申し込むといい。幸い、年齢制限はないし、年金収入でも作れる。

スマートフォンでSuicaを使い、ビューカードからチャージをすると便利なのだが、JR東日本駅のそばに住んでいる人ならカードタイプのSuicaでもいいだろう。

電車によく乗る人なら、チャージをするのも困らない。JRの駅なら、クレジットチャージも自販機でできる。

オートチャージにしておくのもいい。

孫に助けてもらったりして、キャッシュレスで増税時代を乗り切ろうではありませんか。

コメントする