台風一過、月曜日に被ってしまった首都圏は、大変な交通混乱の発生。
テレビのニュースでは、カオス極まる様子が映し出されている。
私は電車に乗ろうと思ったわけではないが、銀行に用事があって駅まで行ってみた。
地元の駅は長蛇の列で入場規制。
生産性が低いことこのうえない。並んでいる時間は死に時間。仕事もできない。
並んでいる最中に、スマホの電池が切れたらどうするのだろう。
みんな有休あるんだろう。出勤が大変なら、休んだっていいじゃないか。働き方改革。
溜まった洗濯ものなどクリーニングに持っていったりして、有意義に過ごし、明日からまた頑張ったらいいだろうに。
そんなに世の中、「会社に行かなければならない」人ばかりなのか?
絶対にそうじゃあるまい。
だが、「会社に行かなければならない」と強く思っている人ならたくさんいる。あの頃の私。
行列を見ているうちに、サラリーマン時代を思い出し、フラッシュバックのストレスに襲われた。
自然災害により電車が止まるということは、残念ながらたびたびある。そんなとき、以前の私だったら勢い込んで、真っ先にカオスの中に足を踏み入っていた。
乗換の知識を総動員し、バスと徒歩を使って、いかに早く目的地に行くか。そんなことを誇ったりなんかして。
一体なにがそうさせていたか。
「俺が行かなきゃ誰が行く」という、間違った意気込みである。
誰も少しもそんなこと、期待していない。それに気づかなかったあの頃のオレ。
正確に言うなら、気づくのが怖かった。
社畜が痛々しいのは、自分の意思で社畜化していることが多いからである。
「貴重な社畜」なんてこの世に存在するわけがない。だって家畜だもの。置き換えの利かない社畜はいない。
「かけがえのない仕事」なんていうのは、仕事をしている側の妄想。社畜を動かす側には一生届かない。
動きの悪くなった社畜は、社畜の集団からすらいずれつまはじきに遭う。そうなると、こんな集団は願い下げだと自分を納得させ、別の牧場に移動し、再び社畜に志願する。
ああ、いやだいやだ。
帰って再び、長い行列をテレビで視る。
「会社に行かなきゃ」と思う人と、「俺なんて、あたしなんて行かなくたってなにも変わらないのに」と思う人と、健康なのはどちらだろう。
精神的には、前者のほうが楽だろう。
でも、状況をよく把握している後者のほうが賢い。賢いがゆえに、より辛い。精神を病みませんように。
私も複数の転職歴の中で、最長に勤め上げた職場を3年前辞めた。
辞めた際に自分の、社畜としての寿命も尽きたことを納得せざるを得なかった点については、幸いだった気がする。
襲ってくるフラッシュバックにめまいを覚えながら、そんなことを考えていた。
ライターをやっている今の境遇はどうなのか? 精神的には健康。ストレスは、すべて会社にいた頃以前のもの。
お金はない。いつもピーピー言っている。
それでも、絶対にあの、行列に並ぶサラリーマンには戻りたくない。
自分の今後の人生は、自分で決めたいものだ。
そう思っていたら、週末に仕事を多数探した甲斐があり、2件の新しい仕事が決まった。
ライター与太郎、今後も組織に属さず、ささやかながら頑張っていく所存です。
いつもの金融関係の記事と違うテイストですみません。